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TCCバンコク支部便り


by bangkok_letter
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バンコク通信3

チェンマイカヌー体験
 チェンマイ在住5年経験のN氏につれられての1泊のチェンマイ旅行をしてきた。
チェンマイじたいが標高500m程度あり、長袖の必要な場所であり空気がバンコク周辺とは違って澄んでいて気持ちが良い。
チェンマイ空港からの車で移動中、橋の上にさしかかった。ゆるやかな緑の川が目に入ってきた。ピン川である。「この川はカヌーに最高だ!」と私が騒いでいるとN氏は、この川でカヌーをさせてくれるはずですよ。と言い出した。
滞在の2日目の夕方にカヌーを実際にすることとした。
 ある川沿いの寺院の奥深くへ行くとなんと、本格的な艇庫とカヌー乗り場があった。
この施設、正式には「チェンマイカヌートレーニングセンター」という。地元チェンマイの3大学の体育会系のカヌークラブ+地元カヌー協会の管理しているらしい。
艇庫には通常のカヌーのほかに競技用のカヌーも置いてある。タイ人は50B(150円)
外国人は100B(300円)でカヌー道具一式を貸してくれる。管理をしている若い女の子(高校生くらい)によるとスタートは夕方の4時からだから待ってくれという。
タイは日中は暑い。夕方がカヌーによい時間帯ということのようだ。
1時間ほど川岸で、3人のほかの日本人と待って、簡単なカヌー講習をして、ついにカヌーを漕ぐときが来た。
素晴らしい。感動が胸にこみあげてくる。「バンコクまで漕ぐかなあ」「10日間かかるかなあ」なんていう会話をしながら漕ぎ出す。Y君は日ごろの農作業で鍛えているし、なんといっても若い。疲れしらずで漕いでいる。
年長のEさん「実は5年前ですか、この川氾濫したんですよ。私の家の辺も水につかったんですけど「大変ですね」それでね護岸工事をしろとか川の管理のことが問題になったけど今はさたやみのようです。日本みたいに護岸工事をしたらこの川のよさがなくなっちゃう。」
 「いやあこんなことを仕事の後にできるんですから、チェンマイは最高です。こんなところ日本にありますか。バンコク。あそこは異常ですよ。こんど来るときは、下流の方にいきましょう。地元の普通の暮らしが川から見えます。」
そうですね。というわけで、また漕ぐ約束をした。
タイの米つくりの実際をチェンマイで見てみたいという思いもあるし、15年前トレッキングへ行った高地民族の村の現在の変化を見てみたいという思いもあるので、再度チェンマイへ、また来るべし。と私は思った。



 
# by bangkok_letter | 2011-05-02 00:34

バンコク通信2

■アユタヤ
家族滞在の最終日、世界遺産アユタヤに家族で一日行くこととしました。アユタヤは、チャオプラヤ川のバンコクから見ると80Kmほどの内部ですが、中州の島に1350年から5つの王朝が栄えていました。時期としては日本の室町時代~徳川時代の中ごろです。
滅亡は1767年、(江戸時代中ごろ)隣国のビルマ軍に、街自体が焼きつくされ、仏像も破壊されてしまった廃墟を私達も見ました。
バンコク通信2 _b0212065_624444.jpgバンコク通信2 _b0212065_6241653.jpg

 ワット・プラ・スィー・サンペット(1448年建設)
バンコク通信2 _b0212065_6245576.jpg

(切り倒された仏頭に樹木の根がからむ。アユタユの象徴:ワット・プラ・マハタートにて)

 相互の民族にそのころなにがあったのか現在の私達、とりわけ日本人にはわからないものがありますが仏像の頭を執拗に切り取り、街じたいを破壊し、異民族の人間を殺していったという姿に人間の非常なおぞましさのようなものを感じました。
ガイドブックによるとその後、ビルマからアユタユを奪回した武将タークーシンはその晩年に極度の精神錯乱状態に陥り、寺院に強制収用され処刑を受けたとありますが、そのことにも私の知らない歴史を感じてしまいました。
アユタユはチャオプラヤ川から海に通じインド、欧州とも交易をしていた東南アジア最大の国際都市でもあったそうです。渾然とした東南アジアのことについて、素直に言ってほとんど知らない状況です。しかし廃墟となったアユタユが実はどんな場所だったのか?廃墟の感じからはインド等の影響も感じられ、おそらくアンコールワットまでつながる関係性があるのだと思います。
 アユタユの廃墟を歩き、この東南アジアの歴史に想像力を非常にかきたてられました。

■日本人町
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日本人街の跡にも行きました。記念館での説明によると1500人程度のその日本人たちは、男は浪人が多く、住民の半数は長崎で弾圧され日本に居られなくなったキリシタンだということでした。その人たちはどうなったのか。と娘に聞かれましたが、うまく答えられませんでした。
(後で調べると1630年に日本人町は焼き討ちにあい住民は虐殺を受けたとあります。江戸幕府の鎖国礼が1635年であり、その後、帰れない人はタイの血に交じり合い歴史の中に消えていってしまったのだと想像するばかりです。)

■チャオプラヤ川
今回のアユタユ訪問で、バンパイン宮殿にも行きましたが、その隣接する寺院(下の写真のように
外形はキリスト教チャーチですが、100パーセント寺院です。)の横でチャオプラヤ川を眺めました。
「タイの豊かさがチャオプラヤ川に代表される水の豊かさにあるのは間違いない。」と思いなから
どこかのどかな空気のただようこの風景の中、カヌーを浮かべてみたい。と密かに思いました。
(秘密計画の実施には予備調査と皆様の賛同が必要です。賛同される方はメールを)
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 (タイ+洋、折衷寺院)                   (チャオプラヤ川:寺院より) 

バンコクにて 2011年 元旦 Write by ISK
# by bangkok_letter | 2011-03-30 06:27

バンコク通信1

お元気ですか?
我孫子では盛大に送っていただきまして本当にありがとうございました。
私がバンコクに赴任して、もう早、40日が過ぎました。
1.タイでカヌーができるか?という質問には「可能である。」というのが答えです。
写真は、到着後、会社の旅行というのがあり、滞在した宿泊所にあったカヌーに乗っ
バンコク通信1 _b0212065_655489.jpg

ているところです。
 郊外のマハチャイというところを行くと、樹脂製のカヌーが売っていました。水路の張り巡らされているタイでは、塩田や、その他に船は使われているようで、
タイ製の仕事用カヌーではないかと睨んでします。金額は未確認です。(後日、使用目的等確認をしてみたいと思います。
レジャーとしてのカヌーーもマングローブ林のところをいくツアーのようなものもあります。得に北部は山岳地帯であり、急流や滝が多く、カヌーをしていたというと北部で激流を下ったらどうかというのがタイ人の方の多くの反応です。
 まあ、タイは安全度の高い国ですし、郊外でポイントさえあれカヌーーは可能だというのが今の感じです。(南米の某国ですと人の方が怖くてカヌーーが危険ですがタイは大丈夫だと思えます。(2名以上は必要と思いますが)タイのカヌー人口は未確認です。

2.住んでいるトンローのアパートから徒歩5分のところにどぶ川と仮した水路がありますが、そこを船バスが走っており時々休みの日に乗るようになりました。
もともとバンコクは水路の町だったそうですが、「渡し船」があったりドブ川を少年が泳いでいたりという姿は今日でも残っています。
市民に言わせると、BTSは高いし、渋滞がない分、船も良いということ。非常に揺れますが、目的地に向けて私の家からみて早いのは事実です。
(観光地ではありませんが、もしタイにおいでの際はお連れいたします。)
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3.国王の誕生日が先日あり、チャオプラヤ川に一般船が多数、集結して国王の誕生日を祝うというセレモニーがあり私も見てきました。その後、王宮前には多数の人が集結しており花火が打ち上げられていました。現国王への忠誠は非常に強く、そこから脱出するのに3時間以上かかりましたがいい体験でした。

4.タイは暑い。タイ人にいわせるとタイには①非常にあつい日と②少し暑い日と③暑い日の3つしかないそうです。今は③の冬です。
もともと私も良く分かっているわけではないのですが、色々とタイの文化の奥深さに驚くことも多い毎日です。ぜひ皆様も「我孫子」に飽きたり、「国外体験」をしてみたくなりましたら、私のタイにいる間にバンコクに遊びに来てください。できる限りの歓待をさせていただきます。
            バンコク(クルンテープ)にて  write by ISK
# by bangkok_letter | 2011-03-30 06:08